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法華七喩 良医治子のたとえ   

法華七喩 良医治子のたとえ   

良医治子のたとえ

法華経には『法華七喩(ほっけしちゆ)』という七つのとたとえ話があります。お釈迦様が私たちに法華経の教えをわかりやすく説くために、七つの話にたとえられました。
その中の一つである「妙法蓮華経如来寿量品第十六」の『良医治子(ろういじし)のたとえ』というお話です。

あるところに腕の良い人々から尊敬される医者(良医)がおり、彼には多くの子供がいました。ある時、その良医が外出した際に、子供たちが誤って薬棚にある毒薬を飲んでしまったのです。良医が帰宅すると、そこには毒に害された子供たちが倒れ、苦しんでいたのでした。良医は子供たちを助けるために、色も香りもよく、毒によく効く薬を飲ませようとしました。

毒気が軽かった子供は、素直にその薬を飲み、苦しみから解放されたのですが、完全に毒気に犯されてしまった子供はその薬さえも毒だと思い込み飲もうとしません。良医は考えた末に、もう一度外出して使いの者を出し、子供たちに「父親(良医)は外出先で死んだ」と伝えさせました。父の死を聞いた子供たちは、頼る人のいなくなった自分たちのことを憂い泣いて悲しみました。悲しみ嘆くうちに、子供たちは毒気も忘れ意識を取り戻し、良医の残していった良薬を飲み苦しみから解放されたのです。
良医は、子供たちみんなが正しい意識を取り戻したことを知り再び姿を現しました。子供たちは大変喜んだのです。

良医は仏、子供は衆生

このお話では良医は仏、子供は我々衆生、そして良医が亡くなったということを、仏の入滅にたとえています。仏様の入減は、我々衆生の顚倒(てんどう)した心を正しい心にするための仏の巧みな手段なのです。そして、衆生が正しい心を呼び覚ました時、仏様はその姿を現すでしょう。

仏様の慈悲によって末法の今に生きる私たちは救われ、そして成仏のための全ての功徳が備わった最高の良薬であるお題目と出会うことが出来たのです。この良薬を飲めば(お題目をお唱えすれば)成仏が叶うだけでなく、日常生活で起きている不安や苦しみもさえ取り除くことが出来るでしょう。
日々の生活の忙しさの中にあっても、いっぺんでも多くのお題目を信じて唱えるという気持が大切です。

※顚倒 煩悩のために誤った考えやあり方をすること(三省堂 大辞林より引用)

参考 法華宗教化センターリーフレット「咲かそういのち」2019春号

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