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法華七喩 髻中明珠のたとえ

法華七喩 髻中明珠のたとえ

髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)のたとえ

法華経には『法華七喩(ほっけしちゆ)』という七つのとたとえ話があります。お釈迦様が私たちに法華経の教えをわかりやすく説くために、七つの話にたとえられました。

今回は「妙法蓮華経安楽行品第14」に説かれる『髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)のたとえ』を紹介します。

この世界を治めている王さまがいました。ある時、その王さまが兵をあつめて敵を討伐しました。その労に報いるため、王さまは兵たちに褒美を与えます。金銀財宝をいただいたものもいれば、中には町を丸ごといただいたものもいました。しかし、まだ王さまが兵たちに与えなかったものが一つあったのです。それは、王さまが頭の上で髮を束ねていたその中に収めていた宝珠でした。この、頭の上で束ねた髮のことを髻(もとどり)というため、このたとえを「髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)のたとえ」といいます。

ある時、魔物と戦い大きな手柄を挙げた兵たちをみて、王さまは歓び、髮の中に収めていた宝珠をついに取り出し与えるのです。


法華経こそが真の宝物

この最後まで髮の中に隠されていた宝珠こそが、私たちが日々お唱えしている法華経なのです。

この王さまは、仏さまのことをたとえています。仏さまが世の中を治める力とは、智慧の力です。敵と戦う兵とは仏さまを信じて集う私たちのことです。敵とは煩悩のことで魔物にたとえられます。仏さまは煩悩という敵をはらうために様々な教えを説いて人々を導いたのです。しかし、はじめから法華経という教えを説くことはありませんでした。

土地や金銀財宝といったもの(法華経以前の教えは)決して無価値なものではありません。しかし、この世にたったひとつしか無い髻中明珠(法華経)に比べればかすんでしまいます。また、法華経が説かれる前に説かれていた教えを信じていた人々も、法華経に出会うことで救われるのです。この世界を生きる私たちは、信じる心を持ち、日々の修行をすることで仏さまから宝珠を手渡していただけるのです。この修行とは心を清らかにして、お題目を唱え聞かせるという菩薩行のことです。

このたとえにあるように私たちの周りには「魔物」がうごめいています。そういった誘惑に負けないよう、心を落ち着かせ、お題目を唱え、一日一日を無駄にすることなく過ごして參りましよう。


参考 法華宗教化センターリーフレット「咲かそういのち」2020春号

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