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法華七喩 化城宝処のたとえ

法華七喩 化城宝処のたとえ

化城宝処(けじょうほうしょ)のたとえ

法華経には『法華七喩(ほっけしちゆ)』という七つのとたとえ話があります。お釈迦様が私たちに法華経の教えをわかりやすく説くために、七つの話にたとえられました。

今回は妙法蓮華経化城喩品第七に説かれる「化城宝処(けじょうほうしょ)のたとえ」を紹介します。

ある所に、貴重な宝物を目指し前人未踏の砂漠を越えようとする旅団がいました。この一団の案内人は聡明で精神力も強く、砂漠にも精通し一団を宝物へと導くことのできる人物でした。
案内人の元、砂漠へと入った一団ですが、あまりの過酷さにまいってしまいます。すると一団から「我々は長旅で疲れ果て、厳しい環境にまいってしまっている。元の所に引き返そう」という声が上がります。皆を何としても目的地の宝物に連れていきたい案内人は、神通力で立派な城を作り、一団を休ませようと城へ誘導したのでした。

案内人は彼らの体力が十分回復すると、旅の再閧を告げます。ですが、城に留まりたいとの声がします。これに対し案内人は、実はこの城は私の神通力による幻で、本当の目的地はもっと先にあると語り、元気を出して出発しようと声をかけました。この言葉に背中を押された一団は、案内人と共に旅を続けたのでした。


誰もが人生という旅の途中

この旅の一団は私たちで、案内人は仏様です。私たちは一度仏道を志しても、その決意は普段の生活に潜む欲や快楽等に惑わされてしまいます。私たちが仏道を成就するには、この私たちが生きているこの世界は、砂漠のように過酷で厳しいものです。このお話では、欲や快楽に溺れ、また心身共に疲れた私たちを前進させようと、あえて仮のゴールを示し、本当のゴールへと導く仏様の巧みな手段が説かれていたのです。

私たちは苦しみや悲しみにみちた荒野を歩く旅人のようなものです。真実の教えに気づかないものは、仮想の境地に満足し、荒野を歩くことをやめてしまいます。しかし、そこはまだ旅の途中なのです。本当の悟りにたどり着くまで、歩き続けなくてはなりません。

私たちの周りには様々な宗派や教えがありますが、本門八品上行所伝のお题目こそ、仏様が混沌とした時代を生きる私たちに届けて下さった、仏の境地に至る唯一の教えです。私たちはお題目を杖として、砂漠のような厳しい人生を力強く歩んでいきましょう。

参考 法華宗教化センターリーフレット「咲かそういのち」2019秋号

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